Monday, September 26, 2011

イラン式お通夜(お通日)

あわただしく我が家を出て、ミスター夫のお母さん宅に到着。


現場はすでに救急車、警察、が去った後で続々と集まる親族でごった返していました。
すすりなくミスター夫のお母さん=ママジャン。


ベッドルームには今朝死体で発見されたミスター夫の弟の嫁/ネダの母親の遺体がベッドに横たえられていた様子。


そのあと、遺体を引き取りに来た葬儀屋さん(兼霊園)の人が亡くなったネダの母親の遺体をドラマCSI Miami に出てくるような黒いジッパーのついた袋にいれて、タンカーにのせて車の中に移動。 霊園の中にある一時預かり所まで持って行きました。


ここで、イランのお葬式についてちょっぴり語ります。


日本の場合、お葬式まで遺体が家にあり、だいたいが自宅でお葬式、荼毘にふす。
というコースですが、イランの場合、信じられないのが亡くなると
すぐに家から遺体を遺体安置所に移動。


その後、遺体のない自宅に親類、縁者が集まって個人をしのんで
すすり泣きます。 泣く事が美しい、悲しみが美しい、というのが
イスラムだそうで、そのあたりが韓国のお葬式と似ているとミスター夫
が言っていました。


そしてみんながあつまると、ふるまわれるのは チャイ。 イラン式お茶。
どこのイラン系家庭にもこうした有事にそなえて、チャイ用のカップが
30客はあります。


今日は、ミスター夫のお母さんが悲しくてお茶を入れるどころでは
なかったので、不祥長男の嫁、ことわたくしがお茶を入れました。


日本のお茶の入れ方で茶器の7−8分目までお茶をいれてだしたのですが、
あとでミスター夫にイラン式ではカップの9分目までいれるんだよ、と
教えてもらいました。 文化の違いどすな。


そうしてお茶を入れる事、20杯x3回。 +あと10杯くらい。


その後、出前でカバブ、肉の串刺し、イランのなすびのシチューなどを
たのんで、みんなでいただき、ただひたすら世間話。
お酒はいっさい出ません。


これがお昼から夕方6時まで続きます。
私達は6時でひきあげましたが、みんなは7時までいたのかな。


今夜からしばらくミスター夫の妹、アレズがお母さんの家に泊まり、仕事に
通うそうです。


ところで、イランのお葬式、その後です。




お葬式は亡くなった日からきっかり7日目に行われます。
父親が亡くなった場合、お葬式の2−3日前に息子達、または父親の
兄弟が集まって、遺体安置所に赴き、遺体を裸にしてお水で清め白い
布に巻きます。


母親の場合は、娘達、または母親の姉妹達が集まって母親の遺体を
裸にして水で清め白い布にくるみます。


そのあと、遺体は棺桶におさめられ、お葬式の日が来るまで霊園内の遺体安置所
に安置されるそうです。


その後、イラン国内でのお葬式の場合は主要都市の新聞に死亡広告を
出して大きなお葬式後、墓地に行って棺桶から遺体をだして、布にくるんだ
ままの状態で土葬するそうです。


アメリカ国内の場合、棺桶から出しての土葬は禁止。
しかも棺桶をうめる場合も、埋める穴の周囲を最低40センチの
コンクリートで固めて、悪い病原菌やなにかがもれないようにして
の土葬。 まず、土に帰る事は不可能だと言われています。


4年前にミスター夫のお父さんがなくなった時に一連のお葬式を見て
いましたが、とにかく私がびっくりしたのは亡くなったらすぐに
自宅から遺体を出す事でした。


愛する家族の遺体をお葬式まで自宅の外に置く。
それは日本人には考えられない事でした。


はたして私はミスター夫にそれができるのか。
ミスター夫が信じる宗教ならそうせざるを得ないけれど、最後の
別れの時に離ればなれ。 しかもその間ミスターの抜け殻はひとりっきり
で遺体安置所にあるだなんて、今から想像しても悲しくなります。


気が早すぎる話なのでもう考えないで、アパート探しに専念します。


明日もまたアパートを3件みてまわりますが、これで訪れたアパートは
20件。 ネットで探した数はすでに100件を超えています。


住みたい Home Sweet Home に出会うまでは Never Give Up どす。

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